久々にマーク・ピーターセンさんの記事を発見しました。
「I like dog」というと、「私は犬の肉が好きです」と言う意味にとらえられてもおかしくない。という話しです。
・「dog(ドッグ)」で、a も the も付いて無いときは、数えられない犬。数えられない犬というと・・・そこから「犬の肉」を想像する事になる。
・「dogs(ドッグズ)」は、犬が複数なので、特に何とは特定しない場合の犬。なので日本人が「犬が好きです」というときの"犬"になる。
・「a dog(アドッグ)」は、一匹の犬。なので、会話や文章なの中で、ある一匹の犬に言及するときに使う。
この話しは、マーク・ピーターセンさんの「日本人の英語」という有名な著書の中にも出てくる話で、英語を勉強をしていて、ある一線を越えようとするとどうしてもぶつかる所だと思います。
参考書のような・・随筆のような・・・そんな本で、教科書のように細かく覚えていくのも良し、気軽に読み物としても読めます。
個人的にはTOEIC 900くらいで伸び悩んでいるときに、いろいろ英語の本を探すようになって、この本を見つけました。
冠詞の話し以外にもいろいろ英語と日本語知り尽くした著者だからこそかける内容がいろいろあり、英語をはじめた中学生の頃にしっておきたかった内容だったなぁ・・・と思いました。
ただ一方で、英語を学習しはじめた頃には、この本に書いている事は、重要だと気づかなかったかもしれない。とも思います。
日本人的な感覚からすると「冠詞がなくても、想像でわかるだろうに。だから重要では無い」と思ってしまうのが普通だと思いますが、そんな事は無い。というのが、ネイティブのピーターソンさんの本を読んでいるとわかってきます。
別の言語なんだから、自分の言語をベースにした尺度で重要かどうかを測るというのがおかしいと思えるようになって来ました。
私は、この本を読んでから冠詞をできる限り気にするようになり、そうすると文章を読むとき、名詞に冠詞が付いているかどうかを見る事で、その後に言いたい事をぼんやりと想像する事ができるようになってきました。
早く文章を読むためには、冠詞の有無の判断も必要なスキルだと思います。冠詞の有無を意識していないと単語の意味を素早く読みとれないからです。
また、英語の先生が黒板に、新しい単語を書くとき、必ず
a book
等のように数えられる名詞は a を付けて書き、
book
のように冠詞抜きで書く事は無い。という事に気づくようになってきました。
そこに文脈が無く単語だけを取り扱う場合でも、単語(この場合可算名詞)の基本形は「book」では無く「a book」 なのです。
日本人にしてはどっちでもいい事に思えるが、ネイティブは明確に意識しているなぁ。と細かい事に気づくにようになりました。
どんな文面だったが忘れてしまいましたが、仕事で使用していたマニュアルのある英語の文書で a がついている事を意識せずにガイドしてしまったために、そのソフトウェアには実際には使用できない機能を「ある」と言ってしまい、ユーザーから「できないです」と問い合わせが来た事がありました。
みんなで元の英文を良く読み直して、ガイドの間違いに気がきました。冠詞が付いている付いて無いで大きく意味が変わる事もあるのです。
未だに語り継がれる、アームストロングの間違い
もう一つネイティブが、冠詞を気にする。という有名なエピソードがあります。
それは、初めて月面にたどり着いた宇宙飛行士の一人のアームストロングのこの言葉です。
That's one small step for (a) man, one giant leap for mankind.
これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。
かっこ書きで(a) となっているのは、アームストロングがここの a を言ってなかった。と言う話しがあるためです。つまり a が無かったとすると・・
これは人類に取っては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。
という意味に聞こえてしまい、何を言っているのかわからなくなります。
つまり
man : 人類 = mankind
a man : 一人の男
の違いがあるという事のようです。
日本人には「何故、そんな事を気にするんだろう?」と思える冠詞ですが、この話しはネイティブが冠詞が意味に重大な影響を与えるととらえている一つの例だと思います。
冠詞の付け間違いは、単語をまちがえている。くらいの意識で考えると良いのかもしれません。